公定歩合からゼロ金利、そして量的緩和へ
中央銀行(日銀)は、その時々の経済状態に応じて金融を引き締めたり、緩和したりと経済状態の良し悪しに応じて、日銀は金融政策を変更します。日本のデフレが深刻化する前までは、こうした金融調整は「公定歩合」の変更により行われてきました。公定歩合とは、日銀が民間銀行に資金を貸し出すときの金利を意味する言葉です。かつては金融政策といえば、「公定歩合」を変更することでした。銀行はその公定歩合に銀行の利益をプラスした利率を決め、その金利で企業や個人にお金を貸してきました。つまり公定歩合が上がれば銀行の金利も上がり、公定歩合が下がれば銀行の金利も下がるという関係になっていたのです。
しかし、バブル経済が華盛りの頃には4.50%(1991/12/30)もあった公定歩合は、その後の景気低迷により順次引き下げられました。ついに1995年9月には1%を割り込み、0.5%まで低下したのです。金利の引き下げ余地が少なくなったことから、1999年2月に日銀はゼロ金利政策を採用しました。ゼロ金利政策は2000年8月に一旦解除されましたが、その後、大型企業の倒産が続いたことで、2001年3月に復活しています。
ところが、今では公定歩合は意味を成さなくなりました。景気低迷期には、公定歩合を引き下げることで、金利の低下で資金を調達する際の利払い費用が減るといったコスト効果が発揮され、景気浮揚が期待できしたが、ゼロ金利政策が採用されたことで、これ以上金利を引き下げようがなくなったからです。そこで次に取られた政策が2001年3月19日の日銀金融政策決定会合で導入された「量的緩和」というものです。量的緩和、とは、金利そのものを変更(引き下げる)するのではなく、マネーの供給量を拡大することで、その結果として短期金利を低下させようという金融政策です。
量的緩和=日銀の当座預金残高の増加
量的緩和策で日銀が具体的に行っていることは、(日銀の)当座預金の残高を増やすことです。都市銀行や地方銀行は、日銀に置いてある当座預金の残高に比例して融資を行うことが出来るようになっているため、量的緩和策により銀行を通じて貸し出しが増え、世の中に流れるマネーの量が拡大すると期待されました。銀行が調達できる金利がゼロであれば、企業や個人に対して容易に資金を貸し出すことができ、それが巡り巡って景気を押し上げる効果をもたらすとの思惑があったものの、実際には貸し出しは増えず、当座預金の残高ばかりが積み上げられました。
最近は輸出企業を中心に景気が回復基調となり、非常手段とも言われるこの量的緩和策の出口論が出始めています。ただ、日銀は量的緩和を導入した際の約束事として、「消費者物価指数が前年比でゼロ%以上上昇して、しかもそれが安定するまで量的緩和を続ける」としています。原油をはじめ、鉄、非鉄金属などの素材価格の上昇を背景として、企業物価指数は昨年一年間を通じて前年比プラスの状態が続きました。一方、消費者物価指数は総じてマイナスとなっています。これは最終財への価格転嫁が進んでいないことを表しています。多少の値上がりはあっても消費者の購買力が落ちないことが量的緩和策の解除の決め手となるかもしれません。
公定歩合の意味合いが薄れた理由
金融政策の代名詞とも言われる公定歩合操作の意味合いが薄れたのには理由があります。一番の理由は並ならぬ金利低下で、金利水準そのものが下がりようが無いくらいに低くなったことですが、その他にも忘れてはならないものがあります。それは、金融の仕組みが間接金融から直接金融へと徐々にシフトしてきたことです。
具体的には、店頭市場〔JASDAQ〕に続き、新興企業向けの株式市場が開設されました。
これらの市場は既市場に比べて上場基準が緩やかなため、会社設立後間もない企業や、現時点では赤字決算でも将来性が見込める企業などに対して門戸が開かれています。ただ、業績変化率が高いこれらの企業の株式は値動きが荒く、一般投資家には不向きとの声も多いようです。
企業の資金調達の場が整備され、銀行から融資を受けるのではなく、株式あるいは社債市場から直接資金を調達できるようになったことで、日銀の公定歩合=民間銀行の貸出金利の与える影響は小さくなったというわけです。